2009年12月04日

川越の大師様 一年一組 田幡喜子 1956年

 「川越市」「川越市」と言う駅員の声を、背に聞き駅の外に出た。私達が乗って来た電車からも、随分、多勢の人がおりた。その大勢の人達も、大たい大師様に行くらしい。父と妹と私も大師様に向かって歩いた。
 父が、いろいろと川越の事について話してくれた。ふと前方を見ると、大きな、いく本もの、杉の木が茂っていた。私は、あの木の中に行けばいいのだ。もうすぐだ。と内心ほっとしたのだが、だまって歩いた。杉の木の下を通って見ると、遠くで見たより、ずっとどっしりしていた……。
 だんだんと大師様に近づくのだろう。一だんと、にぎやかさが、増して来たようである。その内、木の間から、大勢の人が見えて来た。妹が、かけだして「早く、早く」と手まねきしている。大師様の前の方の広い所に、沢山のお店が並らび、大師様にお参りに、くる人を相手に、声をからして説明し、品物を売っていた。売物で目立ったのは、だるまである。沢山のだるまでお店が、おしつぶされそうな感じ。買っている人も、お参りしている人も、皆んな、お正月なので、のんびりとしているらしい。しばらく私も、あまりにぎやかなので、ぼうぜんとしていたのだが、父に「さあ、お参りしよう」といわれたので、はっとした。そして、お参りに行くと、そこも、大勢の人で、いっぱいなので、後から、ゆっくりついていった。おさい銭を入れて、おがんで、おりる時、帰る道の方を、なんの気なしに見おろすと、道は人の波である。どこを向いても人ばかり。それに、お正月で着かざった人々で、うずまっているのだから、美しくいえば、花模様であるが、せっかくの花模様も、ほこりがひどくて、だいなしである。
 私達は、あまりお参りに来る人が多いので、自由に歩けないので、お参りして帰る人々の後をついていった。ほこりのすごい所を通りぬけて、やっと、曲がり角まで来た。ここまでくればと思ったが、やっぱり、大勢の人出、まったく、うんざりしてしまった。でも大師様をはなれるにしたがって、人出が、少なくなって行くような気がした。

   菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』7号 1956年(昭和31)3月
タグ:菅谷中学校
posted by ransiro at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 『青嵐』7号(1955年度) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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